2010年03月14日 (日)
【設立趣旨】
★ 大正から昭和の初期にかけて、大阪市は「大大阪」と呼ばれ、人口・面積ともに当時の東京市をしのぐ大都市でした。大阪経済の繁栄を背景に、明治36年には天王寺を会場に「第5回内国勧業博覧会」、大正14年3月には天王寺公園で「大大阪記念博覧会」、さらに昭和45年3月には吹田・千里丘陵で「国際博覧会(大阪万博)」が開催されたのでした。
★「船場」はそんな大阪経済の中心を担う商人の街として江戸時代から繁栄を重ねてきた地域です。「船場」という地名は文字通り「船(水)」に縁があり、東を「東横堀川」、西を「西横堀川」、北を「土佐堀川」、そして「南」を「道頓堀川」と、四方を堀に囲まれた地域一帯を指し、「本町通り」以北を「北船場」、以南を「南船場」と称したのです。
★ この由緒ある「南船場」を本拠地として事業を営んでいる「企業家」の皆さんと、「地縁」を前提にした「人脈づくり」と「自己啓発」そして「地域の活性」を実行していくのが「本会の趣旨」です。
★ 大正から昭和の初期にかけて、大阪市は「大大阪」と呼ばれ、人口・面積ともに当時の東京市をしのぐ大都市でした。大阪経済の繁栄を背景に、明治36年には天王寺を会場に「第5回内国勧業博覧会」、大正14年3月には天王寺公園で「大大阪記念博覧会」、さらに昭和45年3月には吹田・千里丘陵で「国際博覧会(大阪万博)」が開催されたのでした。
★「船場」はそんな大阪経済の中心を担う商人の街として江戸時代から繁栄を重ねてきた地域です。「船場」という地名は文字通り「船(水)」に縁があり、東を「東横堀川」、西を「西横堀川」、北を「土佐堀川」、そして「南」を「道頓堀川」と、四方を堀に囲まれた地域一帯を指し、「本町通り」以北を「北船場」、以南を「南船場」と称したのです。
★ この由緒ある「南船場」を本拠地として事業を営んでいる「企業家」の皆さんと、「地縁」を前提にした「人脈づくり」と「自己啓発」そして「地域の活性」を実行していくのが「本会の趣旨」です。
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